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2020年06月08日
  • プレスリリース
溶液中の蛋白質構造を正確に評価するための新規解析法を開発 ―構造評価の妨げとなる凝集の影響を実験データから除去

京都大学複合原子力科学研究所 杉山 正明 教授、守島 健 同助教、自然科学研究機構生命創成探究センター 加藤 晃一 教授(分子科学研究所/名古屋市立大学兼任)、東京大学定量生命科学研究所 胡桃坂 仁志 教授らの研究グループは、溶液中の目的蛋白質の正確な構造を求めるために、構造評価の妨げとなる凝集の影響を実験データから除去する新たな解析方法を開発しました。

X線や中性子を用いた小角散乱法(SAS)は溶液中の蛋白質の構造を解析する強力な測定法ですが、溶液中に僅か数%程度の凝集が存在するだけで目的蛋白質の正確な散乱プロファイルが得られなくなり、誤った構造の解釈に繋がる危険性を孕んでいることが長年の問題でした。そこで本研究では、超遠心分析(AUC)で測定される凝集の存在比率を用いて散乱プロファイルから凝集の影響を取り除く解析法(AUC-SAS法)を開発しました。今後はAUC-SAS法で解析した散乱プロファイルから得られる構造を元にして、従来よりも高度な生物学的議論が可能になると期待されます。また、AUC-SAS法は解離会合平衡系のように複数の蛋白質成分が共存する多成分溶液に対しても応用可能で、特定成分を選択的に構造解析することができます。生体により近い環境の複雑な多成分溶液中での蛋白質構造を解析するにあたって、AUC-SAS法は不可欠な手法となることが期待されます。

本研究成果は、2020年6月8日にイギリスの国際学術誌 Communications Biology にオンライン掲載されます。

研究の背景

構造生物学においてクライオ電子顕微鏡や単結晶構造解析は蛋白質等の生体高分子の立体構造を高い空間分解能で解析する手法です。しかしながらこれらの測定では試料が凍結・結晶状態であるため、目的の分子の構造が生体中(= 溶液中)の構造から多少変化している可能性もあります。一方、X線や中性子を試料溶液に入射して散乱像を解析する小角散乱法(Small Angle Scattering; SAS)[注1] は、蛋白質の溶液中での「ありのまま」の構造を得ることができる強力な測定法です。例えば、凍結・結晶状態では観測不可能な蛋白質のダイナミクスを反映した構造情報を得られるため、SASは生命機能を理解する上でも不可欠な手法です。

これまでのSASで得られる構造の空間分解能は比較的低かったのですが、近年は計算機による解析プログラムの発達によって、以前より高分解能な立体構造を得ることができるようになりました。一方で、このような高度の解析を行うためには、目的とする蛋白質の高品質な実験データ(散乱プロファイル)を得ることが大変重要です。しかしながら、溶液中に目的蛋白質以外に異なる構造の複数の成分が共存する場合(= 多成分系)、実験で得られる散乱プロファイルに溶液中の全成分の寄与が反映され、特に、複数の蛋白質が会合した「凝集」は分子量が大きく、目的蛋白質に対して僅か数%程度の存在比率であっても散乱プロファイルに大きく影響を及ぼしてしまいます。そこで、通常SAS測定に用いる試料は、多大な労力をつぎ込んで目的蛋白質成分だけの溶液となるように高純度に精製されます。ただ、残念ながら、その労力にも拘わらず試料によっては精製直後でも凝集を生じる場合があります。このような試料の散乱プロファイルから得られる蛋白質構造は凝集の影響を受けており、当然目的蛋白質の本来の構造とは異なっています。加えて、大変厄介なことに、溶液中に凝集が含まれるか否かはSAS測定だけでは判断できない場合があり、凝集の影響を受けた構造を目的蛋白質の真の構造と誤認してしまうと、その後の生物学的な議論において大変危険です。

以上のように、「凝集問題」は溶液中の蛋白質構造解析における非常に重大な問題の一つでした。これに対して本研究では、試料溶液に凝集が(どれくらいの量)含まれるかを測定し、凝集の影響を除去して目的蛋白質だけの散乱プロファイルを得る解析法を開発しました。

研究手法・成果

試料溶液中の凝集の量を明らかにするために、超遠心分析(AUC; Analytical UltraCentrifugation)[注2] に着目しました。AUCは、高速回転で生じる遠心力で溶液中の蛋白質分子が沈降する過程の測定を行い、溶液中に存在する各分子の分子量(= 重さ)とその濃度を求める手法です。一方、SAS測定で得られる散乱プロファイルにおける凝集の寄与は、凝集の分子量とその濃度(溶液中の存在比率)によって決まります。本研究ではAUCで得られる凝集の種類とその濃度の情報を用いて散乱プロファイルから凝集の寄与を除去し、目的蛋白質だけの寄与を得ることができる解析法「AUC-SAS法」を開発しました(図1)。構造が自明な蛋白質を用いてAUC-SAS法を評価したところ、蛋白質や核酸などの幅広い生体高分子に適用可能であることが分かりました。

さらに、AUC-SAS法は凝集を含む溶液だけに限らず、より一般的な多成分溶液への適用が可能です。例えば、蛋白質AとBが解離会合平衡下で複合体ABを形成する系(A + B ↔ AB)では溶液中にA, B, ABの3成分が共存しますが、AUC-SAS法の適用により多成分溶液の散乱プロファイルからAB複合体の寄与を抽出して構造解析を行うことができます。AB複合体のみを精製で単離することが不可能な場合、AUC-SAS法は大変有効な解析法といえます。多成分系に対する類似の手法として、サイズ排除クロマトグラフィー(SEC; Size Exclusion Chromatography)によって溶液中の成分をサイズに応じて分離しながらSAS測定を行うSEC-SAS法が近年注目を集めています。しかしながらSEC-SAS法には、「多量の試料量(AUC-SAS法の約2 – 5倍)」「凝集の混入や再凝集」「SECによる複合体の解離」といった問題点がありました。今回開発されたAUC-SAS法はこれらの問題点を解消することができるという点で非常に強力です。

図1. AUC-SAS法の概要(1)凝集除去解析では、溶液中に含まれる目的成分と凝集成分のそれぞれの沈降係数(∝分子量の1.5乗)と濃度c1,caをAUCで求め(上左図)、これらを用いて散乱強度の実験値Iexp(q)を目的成分(c1i1(q))と凝集成分(caia(q))に分離します(上右図)。(2)解離会合平衡下の複合体の構造解析では、まず解離定数KDをAUCによって求め、各成分の濃度cA,cB,cABを計算します(下左図)。得られた各成分の濃度を用いて混合溶液の散乱強度の実験値Iexp(q)を蛋白質A成分(cAiA(q))、蛋白質B成分cBiB (q))、AB複合体成分(cABiAB(q))に分離します(上右図)。ここで、ix(q)はx成分の単位濃度あたりの散乱強度を意味します。

波及効果・今後の予定

これまでは、「SASには凝集問題が存在するので、構造の詳細な議論を行うのは危険である」と言う指摘がありました。これに対して今回開発したAUC-SAS法はこの「凝集問題」を解決し、溶液中の蛋白質の構造をこれまでよりも高い信頼度で議論することができるようになります。したがってAUC-SAS法は、蛋白質溶液構造解析を行う上での標準的なプロトコルとして取り入れられることが望まれます。

ここまでの研究では、SAS測定としてX線小角散乱(Small angle X-ray Scattering; SAXS)を用いてきましたが、AUC-SAS法は中性子小角散乱(Small angle Neutron Scattering; SANS)にも適用可能です。SANS法においては低いビーム強度や大量の試料量の問題からSEC-SAS法の適用が困難な事を考慮すると、凝集除去の観点からはAUC-SANS法が極めて有効であると考えられます。SANS法では重水素ラベル蛋白質や重溶媒を用いる事で注目する蛋白質だけを選択的に観測することが可能ですので、SEC-SAXS法やAUC-SAXS法とAUC-SANS法とを適切に組み合わせて利用することで、溶液散乱法による多成分系の選択的構造解析のさらなる発展が期待されます。

以上のような発展を見据えて、AUC-SAS法を適用するための制限(例えば、除去可能な凝集量の上限や、扱うことのできる成分数の上限)を拡張するための改良を行うことは今後の課題です。

用語解説

注1. 小角散乱法(Small Angle Scattering; SAS)
試料溶液にX線あるいは中性子を照射し、散乱角が約10度以下の小角での散乱強度を検出器で測定します。測定データは、散乱角に対応する散乱ベクトルに対して散乱強度をプロットした散乱プロファイルとして得られ、数Åから数百Å (1 Å = 10-10m) のサイズスケールの構造を反映します。得られた散乱プロファイルに対して、Guinier式などの近似式でfitting解析を行うことで、回転半径などのサイズの情報が得られます。また、近年は計算機による解析プログラムの発達により、立体構造を予測することもできるようになってきています。

注2. 超遠心分析(Analytical UltraCentrifugation; AUC)
試料を高速回転(1分あたり数万回転)させて生じる遠心力で蛋白質分子が沈降する過程をリアルタイム計測します。分子量の大きな(= 重い)粒子ほど沈降しやすいという原理を利用して、溶液中に含まれる成分の分子量や濃度、さらには解離定数を決定することができます。

研究プロジェクトについて

本研究は、京都大学複合原子力科学研究所、自然科学研究機構生命創成探究センター、同分子科学研究所、名古屋市立大学大学院薬学研究科、東京大学定量生命科学研究所の共同研究により実施されました。また本研究は、京都大学次世代研究者支援、京都大学複合原子力科学研究所所内助成金、日本学術振興会科学研究費補助金 新学術領域研究(JP18H05534)、基盤研究S(JP18H05229)、基盤研究A(JP18H03681)、同基金 基盤研究C(JP17K07361, JP17K07816)、国際共同研究強化B(JP19KK0071)、若手研究(JP19K16088)、日本医療研究開発機構(AMED)創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)(JP19am0101076)の支援を受けて行われました。

研究者のコメント

近年、生命機能を生体高分子の構造とダイナミクスの観点から深く理解するために、様々な手法を用いて多角的な視点で統合的な解析を行う「統合的構造生物学」という考え方が重要視されています。本研究はこの考え方に基づき、従来は見えていなかった生体高分子の姿を、一歩進んだ解析技術により明らかにしたいという思いが込められています。

発表雑誌

雑誌名
Communications Biology

論文タイトル
Integral approach to biomacromolecular structure by analytical-ultracentrifugation and small-angle scattering
(超遠心分析と小角散乱法による生体高分子構造の統合解析アプローチ)

著者
K. Morishima, A. Okuda, R. Inoue, N. Sato, Y. Miyamoto, R. Urade, M. Yagi-Utsumi, K. Kato, R. Hirano, T. Kujirai, H. Kurumizaka, and M. Sugiyama*

DOI
10.1038/s42003-020-1011-4

本件に関するお問い合わせ先

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京都大学 複合原子力科学研究所・教授
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