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2026年03月13日
  • プレスリリース
脳のない動物示す高度な神経統合
クシクラゲ平衡器の神経コネクトームを世界で初めて解明

 

自然科学研究機構 基礎生物学研究所/生命創成探究センター(ExCELLS)の城倉圭研究員とドイツ・ハイデルベルグ大学Centre for Organismal Studies Heidelberg (COS Heidelberg)のGáspár Jékely教授の研究グループは、有櫛動物クシクラゲの平衡器において、これまで知られていなかった神経ネットワーク構造を発見しました。今回発見された神経回路は単なる情報伝達経路ではなく、内部での活動を通じて繊毛運動を協調的に制御する統合的回路であることが示されました。すなわち、脳のような中枢を持たないにもかかわらず、神経ネットワークそのものが運動制御の中心的役割を担っていることが明らかになりました。

本研究は、分散型神経ネットワークによる統合制御の実体を初めて構造的に示した成果であり、神経回路の基本原理を理解するうえで重要な一歩となります。本研究成果は2026年2月17日に国際学術誌eLifeに掲載されました。

クシクラゲの幼生の写真。右上で白っぽく光って見える小さな丸いかたまりが平衡器にある平衡石。

 

研究の概要

研究の背景

重力の影響下で体の向きを保つ仕組みは、すべての動物に共通する最も基本的な生理機能の一つです。この制御は神経系によって支えられていますが、神経ネットワークがどのような回路構造によって情報を統合し、運動を制御しているのかは、十分には理解されていません。

クシクラゲ(有櫛動物門)は、約6億年前に出現したと考えられている、現存する動物の中で最も早く共通祖先から枝分かれした系統の一つに属する海洋生物です。クシクラゲは神経細胞は持ちながらも、脳や神経節のような中枢構造は存在しません。それにもかかわらず、繊毛を使って巧みに遊泳し、姿勢を安定させ、重力に応じて方向転換を行います(動画1)。

動画1.クシクラゲの幼生が方向転換している様子。櫛板の繊毛運動を使って下方向へとターン遊泳している。

この姿勢制御を担うのが、体の頂端部にあり重力センサーとして機能する平衡器です(図1左)。平衡器は、石灰質の塊を細胞内にもつ“ソリサイト(lithocyte)”と呼ばれる細胞が複数集まってできた平衡石(Statoliths)と、それを支える「バランサー繊毛」と呼ばれる4本の繊毛の束から構成されています(図1右)。

4本のバランサー繊毛は自発的に振動しており、その振動の大きさは体の傾きに応じて変化します。体が傾くと、平衡石の重みによって各バランサー繊毛にかかる負荷のバランスが変わります。その結果、それぞれの繊毛の振動の大きさが変化します。この振動の変化は、バランサー繊毛の根元から続く短い繊毛へと伝わり、さらに櫛板へと機械的な繊毛の波として伝播します。ドミノ倒しのように連鎖的に広がるこの波によって、姿勢の調節や遊泳方向の制御が行われます。

このバランサー繊毛の振動制御には神経系の関与も示唆されていましたが、その実体は明らかではなく、平衡器の神経回路構造はこれまで全くわかっていませんでした。

図1.左:クシクラゲの幼生の模式図。口とは反対側にある平衡器を青い四角で囲っている。体の表面には櫛板が生えている。右:平衡器の模式図。平衡石を支えている「バランサー繊毛」が青色で示してある。小さな繊毛がバランサー繊毛から放射状に並んでおり、櫛板へとつながっている。

 

研究の成果

本研究では、クシクラゲ幼生の重力受容センサーである平衡器を対象に、体積電子顕微鏡法*1を用いて三次元再構築を行いました。細胞一つひとつを追跡することで、平衡器内部の神経回路の全体像「コネクトーム」を明らかにしました。その結果、この器官内に存在する1000以上の細胞(12種類の細胞タイプ)を再構築し、3つの神経細胞と、それらの神経細胞の接続関係を網羅的に解析することに成功しました(図2)。

図2.平衡器を構成する約1000個の細胞を3次元的に再構築したもの。球体は核の位置、線は細胞のトレースを示している。細胞タイプごとに色分けされている。

 

解析の結果、平衡器内部に広がる神経ネットワークは、たった3つの神経細胞(神経細胞タイプA:2個、神経細胞タイプB:1個)で構成されていることがわかりました。それぞれの神経細胞は、複数の核を持ち、複雑な形態をした特殊な細胞であることがわかりました(動画2)。これら3つの神経細胞は互いにネットワークを形成し、バランサー繊毛を構成する細胞(バランサー細胞)へ投射していました(図3)。

動画2:今回発見された複数の核をもつ神経細胞の立体像(神経細胞Bタイプ)。マゼンダは核を示している。

 

図3.3つの神経細胞(青、マゼンダ、黄色)が形成する複雑な神経ネットワーク。各神経細胞からバランサー細胞(灰色)へ投射するシナプスの位置を、球で示している。

 

3つの神経細胞の機能的役割を検証するため、ハイスピードカメラを使って、4本のバランサー繊毛の運動の同期パターンを解析しました(動画3)。その結果、繊毛の運動が停止するタイミングにはわずかな時間差がある一方で、運動の再開はほぼ同時に起こることが分かりました。これらの時間パターンを構築した神経回路図と照らし合わせることで、各神経細胞が停止と再開の制御に異なる役割を担っている可能性が示されました(図4)。この神経ネットワークは単に情報を伝えるだけでなく、繊毛運動の停止と再開を協調的に制御する仕組みとして機能していると考えられます。

動画3.左:高速度カメラによって撮影されたバランサー繊毛の運動の様子。白い矢じりはバランサー繊毛を指している。右:左の動画と同期した繊毛運動のカイモグラフ*2。白い線が左の動画の時間と同じタイミングを示している。2本のバランサー繊毛の運動が同時に停止しているのがわかる。

 

図4.3つの神経細胞(丸)と4群のバランサー繊毛細胞群(灰色六角形)の神経回路関係を示している。神経細胞のうち繊毛運動の停止に関与するシナプス伝達の役割を持つ神経細胞Aタイプ(ピンク)と、繊毛運動の再開に関与するシナプス伝達の役割を持つ神経細胞Bタイプ(青色)を示す。また、神経細胞AタイプとBタイプはお互いにシナプスを形成し合っている(灰色)。

 

研究の意義、今後の展開

本研究では、クシクラゲの平衡器内部に存在する神経回路を三次元的に再構築し、その機能解析を通して、明確な中枢を持たない分散型ネットワークが繊毛運動を協調的に制御していることを明らかにしました。

本研究は、「神経系とは何か」という問いに新しい視点を与えます。神経系はこれまで、感覚情報を中枢に集約し、そこから運動指令を出力する構造として理解されてきました。しかし本研究は、統合中心を持たない神経網であっても精密な運動制御が可能であることを示しました。これは、神経回路が単なる情報の通り道ではなく、ネットワーク内部の相互作用そのものが制御機構として機能していることを意味します。

この発見は、神経系が単純な神経網から段階的に脳へと発展したという直線的な進化像を見直す契機となります。動物進化の初期段階において、すでに高度な回路動態が存在していた可能性が示されました。

今後は、このネットワークの電気的活動や分子基盤を解明し、多様な感覚情報がどのように統合されるのか、その原理に迫っていきます。

 

用語解説

*1体積電子顕微鏡法(Volume Electron Microscopy, Volume EM):ミクロからミリメートル規模の組織を電子顕微鏡で連続撮影し、ナノメートル分解能で三次元再構築する技術。

*2カイモグラフ(Kymograph):動画の中の特定の線に沿った動きを取り出し、その変化を時間の流れに沿って並べて表示する方法。横軸に位置、縦軸に時間をとることで、動きの速さやリズムを分かりやすく調べることができる。繊毛の動きや細胞の移動などの解析に用いられる。

 

論文情報

雑誌名 eLife
掲載日 2026年2月17日
論文タイトル:Neural Connectome of the Ctenophore Statocyst
著者:Kei Jokura, Sanja Jasek, Lara Niederhaus, Pawel Burkhardt, Gáspár Jékely
DOI:https://doi.org/10.7554/eLife.108420.3

 

研究助成等について

本研究は、日本学術振興会(JSPS)、欧州研究会議(ERC)、米国グラス財団、米国カブリ財団、米国マサチューセッツ州ウッズホール海洋生物学研究所(Marine Biological Laboratory: MBL)の支援を受けて実施されました。

 

お問い合わせ先

研究内容に関するお問い合わせ

自然科学研究機構 生命創成探究センター 神経ネットワーク創発研究グループ
自然科学研究機構 基礎生物学研究所 神経行動学研究部門
研究員 城倉 圭 (ジョウクラ ケイ)
(日本学術振興会 特別研究員 PD)
Email: jokura_at_nibb.ac.jp

 

広報に関するお問い合わせ

自然科学研究機構 基礎生物学研究所 広報室
E-mail: press_at_nibb.ac.jp

 

自然科学研究機構 生命創成探究センター(ExCELLS)研究力強化戦略室 
E-mail: press_at_excells.orion.ac.jp 

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