研究の概要
北海道大学大学院地球環境科学研究院の小野田晃教授、北海道立総合研究機構の瀬野修一郎主査、名古屋大学大学院理学研究科、自然科学研究機構 生命創成探究センターの内橋貴之教授らの国際共同研究チームは、酵素を用いたPETリサイクル技術に革新的な改良を加えることに成功しました。研究チームは、ペットボトルや繊維製品に広く使用されるポリエチレンテレフタレート(PET)*1を分解する酵素クチナーゼ*2のN末端*3に疎水性アルキル鎖*4を連結し、分解活性を強化する新技術を開発しました。この改変技術は、遺伝子組換えを必要とせず、簡便な化学反応で酵素を改良できます。疎水性部位を連結した酵素は、PET表面により強く吸着し、本来の触媒活性を保持したまま、PET分解効率が向上します。この改変酵素は天然酵素に比べて、分解物であるテレフタル酸(TPA)*5の生成量を最大69%増加させることが確認されました。さらに、高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)*6での観察により、改変酵素が天然酵素よりもPET表面に効率的かつ安定的に吸着する様子がリアルタイムで観察されました。走査型電子顕微鏡(SEM)*7による表面分析では、改変酵素処理後のPETフィルムに顕著に分解した表面形状が確認され、PETとの相互作用の強化によって、PET加水分解を促進できることを明らかにしました。
この成果は、酵素自体の構造を大きく変えることなく、PET表面への結合特性を向上させて、PET加水分解の性能を大幅に改善できることを実証した点で画期的です。本技術は他の種類のプラスチック分解酵素にも応用可能であり、持続可能な循環型社会の実現に向けた重要な一歩として、産業規模でのプラスチックリサイクルを加速させる技術です。
なお、本研究成果は2025年10月5日(日)公開のACS Sustainable Chemistry & Engineering誌にオンライン掲載されました。
発表のポイント
・クチナーゼのN末端に疎水性アルキル鎖を連結することで、PET分解活性を強化。
・疎水性部位を連結したクチナーゼは、PETフィルムの加水分解を最大69%増加。
・改変酵素がPETフィルムの表面へより効率的かつ安定的に吸着。
研究の詳しい内容
1. 背景
近年、酵素を用いたリサイクル技術は、大量の化学薬品やエネルギーを必要とする従来法に代わる環境調和型の手法として注目を集めています。なかでもクチナーゼは、植物由来のクチン*8を自然分解する酵素で、温和な条件下でPET(ポリエチレンテレフタレート)を基本構成要素まで分解できる優れた特性を持っています。しかし、PETの疎水性という性質が、酵素による分解の大きな障壁となっていました。疎水性のPET表面に親水性の酵素が効率的に接近・吸着することは困難です。この点を解決するため、国内外でタンパク質工学による酵素改変、疎水性ドメインの付加、界面活性剤による前処理など、様々なアプローチを試みられていますが、これらの手法は産業規模での実用化に向けては依然として課題が残されていました。このような背景のもと、PETを加水分解する酵素の触媒活性を保持したまま、N末端に疎水性分子を連結する革新的な技術を活用し、簡便かつ迅速に酵素の性能を向上させる新たな方法の開発に成功しました(図1)。
図1. 疎水性部位の連結により、タンパク質表面が親水性に富むクチナーゼが、疎水性のPETフィルムへの吸着特性が高くなり、PETの加水分解特性が向上する。
2. 本研究の手法と成果
本研究では、Thermobifida cellulosilytica由来のクチナーゼ(Thc_Cut1)を研究対象としました。まず、大腸菌を用いて酵素を調製しました。次に異なる長さ(C3、C6、C9)の疎水性アルキル鎖を含むN末端修飾剤1H-1,2,3-トリアゾール-4-カルボアルデヒド(TA4C)を合成し、穏やかな反応条件下でクチナーゼのN末端に特異的に連結させることで、改変酵素を作製しました(図2)。可溶性基質であるp-ニトロフェニル酪酸及び不溶性基質のPETオリゴマー、PETフィルムを用いて改変酵素の触媒活性を評価しました。PET分解は生成されるテレフタル酸を定量により評価し、走査型電子顕微鏡(SEM)による表面観察、水接触角測定*9による親水性評価、X線光電子分光法(XPS)*10による表面組成分析など複数の手法で詳細に解析しました。さらに、高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)により酵素の吸着過程をリアルタイムで観察し、分子動力学(MD)シミュレーション*11で理論的な検証も行いました。
図2. 独自開発の1H-1,2,3-トリアゾール-4-カルボアルデヒド(TA4C)を活用したタンパク質のN末端特異的な化学修飾により改変タンパク質を作製。
図3. PETフィルムの加水分解を7日間行い、TPA濃度により活性を評価した結果。天然クチナーゼに比べて、改変クチナーゼは最大69%活性が向上する。
疎水性アルキル鎖で修飾したクチナーゼは、可溶性基質に対して未修飾酵素と同等の触媒活性を示し、N末端修飾が酵素の活性中心に影響を与えないことが確認されました。一方、PETフィルムおよびPETオリゴマーを用いた実験では、顕著な性能向上が観察されました。C6鎖修飾酵素は65%、C9鎖修飾酵素は69%も多くのテレフタル酸を生成し、疎水性修飾がPET分解効率を劇的に向上させることが実証されました(図3)。SEMによる観察では、修飾酵素処理後のPET表面により深い侵食痕が確認され、水接触角測定では表面の親水性が大幅に向上していました(図4、5)。XPSによる分析では修飾酵素の優れた吸着特性が確認され、HS-AFMによる動的観察では、修飾酵素が未修飾酵素と比べてより迅速に、かつ安定的にPET表面に結合する様子が可視化されました。分子動力学シミュレーションによる理論計算からも、疎水性修飾が酵素-PET間の相互作用を強化されることが確認されました。以上の結果は、N末端に疎水性アルキル鎖を連結した改変酵素が、天然酵素の基本機能を損なうことなく、PET加水分解の性能が強化されることを示しています。
図4. 未処理及び酵素処理後のPETフィルム表面を走査型電子顕微鏡により観察した結果。アルキル鎖の鎖長がC6 及びC9を連結した改変クチナーゼは、天然クチナーゼや短いアルキル鎖のC3を連結した改変クチナーゼと比べてPETフィルム表面の加水分解が速やかに進行することが表面の形状観察からも支持された。
図5. 未処理及び酵素処理後のPETフィルム表面を接触角測定により観察した結果。アルキル鎖の鎖長がC6 およびC9を連結した改変クチナーゼは、天然クチナーゼや短いアルキル鎖のC3を連結した改変クチナーゼと比べてPETフィルム表面の加水分解が速やかに進行することが、接触角測定からも支持された。
3. 本研究の学術的意義および研究の展望
本研究は、簡便な化学修飾により酵素のプラスチック分解能力を大幅に向上させる画期的な技術を確立しました。遺伝子組み換えを必要とせず、穏和な条件で実施できるこの手法は、産業規模でのPETリサイクルの実用化を大きく前進させる可能性があります。今後、本技術を他の酵素系や前処理技術と組み合わせることで、さらなる効率向上が期待されます。また、この戦略はPET以外のプラスチックにも応用可能であり、世界的なプラスチック汚染問題の解決に貢献する技術です。持続可能な循環型社会の実現に向けて、本研究成果が重要な技術基盤となることが期待されます。
4. 用語説明
*1 ポリエチレンテレフタレート(PET) … ペットボトルや衣類の繊維などに広く使用される代表的なプラスチック。エチレングリコールとテレフタル酸が重合してできる高分子化合物であり、透明性と強度に優れるが、自然環境下では分解されにくい。
*2 クチナーゼ … クチンを分解する酵素。本来は植物表面のクチンを分解するが、PETとクチンの化学構造が似ているため、PETも分解できる能力を持つ。
*3 N末端 … タンパク質(酵素)の一方の端。アミノ酸が鎖状につながってタンパク質を形成するが、その開始点となる端をN末端と呼ぶ。
*4 疎水性アルキル鎖 … 水になじみにくい(疎水性)炭化水素の鎖状構造。C3、C6、C9は炭素原子が3個、6個、9個つながった鎖を指す。油のような性質を持ち、同じく疎水性のプラスチック表面に吸着しやすい。
*5 テレフタル酸(TPA) … PETの主要構成成分の一つ。PETが分解されると生成される物質で、この量を測定することでPET分解の程度を評価できる。再びPET製造の原料として利用可能。
*6 高速原子間力顕微鏡(HS-AFM) … ナノメートル(10億分の1メートル)レベルの超微細な構造を、リアルタイムで観察できる顕微鏡。酵素分子がPET表面に吸着する様子を動画として捉えることができる。
*7 走査型電子顕微鏡(SEM) … 電子線を試料表面に走査させて、表面の微細構造を高倍率で観察する装置。PET表面の侵食状態を詳細に観察できる。
*8 クチン … 植物の葉や果実の表面を覆うワックス状の物質。植物を水分の蒸発や病原体から守る役割を持つ。
*9 水接触角測定 … 水滴を表面に置いたときの角度を測定する方法。角度が小さいほど親水性(水になじみやすい)、大きいほど疎水性(水をはじく)を示す。
*10 X線光電子分光法(XPS) … X線を照射して放出される電子のエネルギーを測定し、物質表面の元素組成や化学状態を分析する手法。酵素の吸着量を定量的に評価できる。
*11 分子動力学(MD)シミュレーション … コンピューターを使って分子の動きを計算し、予測する手法。酵素とPETの相互作用を原子レベルで理論的に解析できる。
研究助成等について
本研究は、⽂部科学省・日本学術振興会科学研究費助成事業 学術変革領域研究A「化学構造リプログラミングによる統合的物質合成科学創成」(JP24H02213)、JST/JICA 地球規模課題対応国際科学技術協力プログラムSATREPS「持続可能な漁業を実現する高付加価値バイオ素材の有効利用(ReBiS)」(JPMJSA2206)、国費外国人留学生制度の支援のもとで行われました。
論文情報
- 雑誌名:ACS Sustainable Chemistry & Engineering(持続的な化学と工学の専門誌)
- 論文名:Enhanced Adsorption and Enzymatic Hydrolysis of Poly(Ethylene Terephthalate) by Cutinase with an N-Terminal Hydrophobic Tether(N末端に疎水性部位を連結したクチナーゼによるポリエチレンテレフタレートの吸着促進と酵素分解の向上)
- 著者:Shuvo Md Sadikur Rahman1、Doris Ribitsch2、Georg M. Güebitz2、瀬野修一郎3、内橋貴之4、5、小野田晃6*(1北海道大学大学院環境科学院、2ウィーン天然資源大学、3北海道立総合研究機構産業技術環境研究本部工業試験場、4名古屋大学大学院理学研究科、5自然科学研究機構 生命創成探究センター、6北海道大学大学院地球環境科学研究院)
(*責任著者)
- DOI:10.1021/acssuschemeng.5c05212
お問い合わせ先
研究内容に関するお問い合わせ
北海道大学大学院地球環境科学研究院
教授 小野田晃(おのだあきら)
E-mail: akira.onoda_at_ees.hokudai.ac.jp
広報に関するお問い合わせ
北海道大学社会共創部広報課
E-mail: jp-press_at_general.hokudai.ac.jp
名古屋大学 総務部広報課
E-mail: nu_research_at_t.mail.nagoya-u.ac.jp
自然科学研究機構 生命創成探究センター(ExCELLS)研究力強化戦略室
E-mail: press_at_excells.orion.ac.jp
北海道立総合研究機構 産業技術環境研究本部 ものづくり支援センター
E-mail: iri-shien_at_ml.hro.or.jp
※_at_を@に変換してください。
プレスリリース
バイオリサイクルに革新:PET分解酵素の活性を69%向上
~疎水性アルキル鎖をN末端に連結する簡便な酵素改変技術を開発~