概要
日本の心不全患者数は増加の一途を辿っています。心不全増悪の一因として考えられているのは、過剰な酸化ストレスであるため、生体内で活性酸素などの除去(抗酸化)を担うグルタチオンが注目されています。しかし還元型グルタチオン(GSH)を始めとする様々な抗酸化療法の多くは失敗に終わってきました。今回、自然科学研究機構生理学研究所/生命創成探究センター(ExCELLS)の西村明幸特任准教授と西田基宏教授(九州大学大学院薬学研究院と兼任)らの研究グループは、東北大学や筑波大学などとの共同で、これまで注目されてこなかった酸化型グルタチオン(GSSG)が慢性心不全の予後改善に有効であることを、心不全モデルマウスを用いて明らかにしました。本研究成果は英国雑誌「Nature Communications」に掲載されました。
背景
現在の日本では、人口減少が進む一方で、心不全患者数は増加し続けています。2030年には130万人に達するとも予想されており、「心不全パンデミック」の到来が危惧されています。心不全*1の5年生存率はおよそ50%であり、これは全がんの生存率よりも悪く、新しいコンセプトに基づいた治療薬の開発が求められています。
これまでに、活性酸素(酸化ストレス)と心不全重症度との相関などから、過剰な酸化ストレスが、心不全を増悪する要因の1つと考えられています。そこで慢性心不全患者の予後を改善する試みとして、活性酸素などの除去などを行う抗酸化物質として働くグルタチオン*2を始めとする様々な抗酸化療法が検討されてきました。しかしながらその多くは失敗に終わっており、レドックス(酸化-還元)を標的とした創薬研究には従来の概念からのパラダイムシフトが必要とされています。
グルタチオンは抗酸化能を持つ還元型グルタチオン (GSH) と抗酸化能を持たない酸化型グルタチオン (GSSG) の2つの構造をもっており、通常、生体内では9割以上がGSHとして存在しています。これまでは主に抗酸化能を持つGSHが注目されてきましたが、GSSGは機能面ではあまり注目されていませんでした。
研究結果
本研究グループはGSSGに着目し、心不全モデルマウスの心機能にGSSGが及ぼす影響を検討しました。心不全モデルマウスにGSHを投与すると、時間経過に伴って心機能が下がり続ける一方、GSSGを投与すると、心機能が維持されることが明らかとなりました(図1)。この結果から、GSSGが心不全の予後改善に重要であることが明らかになりました。
さらに、マウス心臓組織を詳しく解析したところ、ミトコンドリアの機能に変化が見られることがわかりました。通常、慢性心不全モデルマウスの心臓では、エネルギー産生器官であるミトコンドリアが小さく断片化しており、エネルギー産生能が低下しています。一方で、GSSGを投与した心不全モデルマウスの心臓では、ミトコンドリアの形およびエネルギー産生能が回復していることが明らかとなりました(図2)。そこでミトコンドリアの断片化に関わるDrp1と呼ばれるたんぱく質の活性を調べたところ、GSSG投与によってDrp1の異常活性化が抑制されていることを見出しました。
さらに詳細にGSSGがDrp1の活性化を抑えるメカニズムについて検討を行ったところ、GSSGはDrp1の活性化に重要なシステイン残基に結合するグルタチオン化*3という反応によってDrp1の活性化を抑えていることがわかりました。一方、GSHはDrp1のグルタチオン化を引き起こすことができないことや(図3)、グルタチオン化が阻害された遺伝子改変マウスではGSSGによる心保護効果が見られなかったことを見出しました(図4)。
本研究により、Drp1のグルタチオン化が心保護効果に重要であることが明らかになりました。本研究は超硫黄分子*4の代謝に着目したレドックス創薬の新概念を提唱するもので(図5)、今後、心不全やミトコンドリア関連疾患に対する治療薬開発へつながることが期待されます。
今回の発見
- 抗酸化能を持たない酸化型グルタチオンをマウスに投与することで心筋梗塞の予後が改善されることを見出しました。
- 酸化型グルタチオンはミトコンドリア分裂を制御するDrp1タンパク質のシステイン超硫黄鎖と直接結合し、グルタチオン化修飾を引き起こすことがわかりました。
- 心筋梗塞時に起こるDrp1の異常活性化はグルタチオン化によって抑制されることがわかりました。
この研究の社会的意義
今回、抗酸化能を持たないGSSGが心臓のミトコンドリア機能を改善することで慢性心不全の予後を改善することを明らかにしました。ミトコンドリアは様々な疾患で機能低下が報告されています。今後、GSSGによるミトコンドリア保護効果についてより詳細な研究を進めていくことで、心不全やミトコンドリア関連疾患に対する治療薬開発への貢献が期待されます。
用語解説
*1 心不全:心臓のポンプ機能が低下し全身に十分量の血液を送り出すことができない状態。超高齢化社会の到来に伴って日本の心不全患者も増加の一途を辿っている。
*2 グルタチオン:生体内に豊富に存在する抗酸化能を持った物質で、3つのアミノ酸(グルタミン酸、システイン、グリシン)から成るトリペプチド。SH基をもつ還元型グルタチオン(GSH)は活性酸素と反応・除去(抗酸化)する過程で、ジスルフィド結合(S-S)でつながった酸化型グルタチオン(GSSG)に変換される。
*3 グルタチオン化:システインSH基にグルタチオンが結合した状態。今回の解析から通常のシステインチオール基よりも超硫黄鎖の方がグルタチオン化されやすいことが明らかとなった。
*4 超硫黄分子:硫黄原子が複数個連続で連なった構造を有する硫黄代謝物の総称。分析技術の発達により、生体内に豊富に存在すること、またエネルギー産生や免疫応答など様々な生命現象に関与していることが明らかになりつつある。今回、Drp1のシステインSH基が超硫黄化されていることで、GSSGによりグルタチオン化されやすいことが明らかとなった。
研究プロジェクトについて
本研究は、以下の助成を受けて実施されました。
- 科学研究費補助金(24K02869, 22H02772, 22K19395, 23K28237, 18H05277, 22K19397, 24H00063)
- 学術変革領域A「硫黄生物学」(21H05269, 21H05263, 21H05259, 21H05258)
- 国際先導研究(23K20040)
- CREST「多細胞」(JPMJCR2024)
- AMED
- ExCELLSプロジェクト研究「オルガネラの時空間アトラス編纂」
- 住友財団、内藤記念科学振興財団、喫煙財団
参考図
論文情報
- タイトル:Polysulfur-based bulking of dynamin-related protein 1 prevents ischemic sulfide catabolism and heart failure in mice
- 著者:Akiyuki Nishimura, Seiryo Ogata, Xiaokang Tang, Kowit Hengphasatporn, Keitaro Umezawa, Makoto Sanbo, Masumi Hirabayashi, Yuri Kato, Yuko Ibuki, Yoshito Kumagai, Kenta Kobayashi, Yasunari Kanda, Yasuteru Urano, Yasuteru Shigeta, Takaaki Akaike, Motohiro Nishida
- 掲載誌:Nature Communications.
- DOI:https://doi.org/10.1038/s41467-024-55661-5
お問い合わせ
研究について
自然科学研究機構 生理学研究所/生命創成探究センター・九州大学大学院 薬学研究院
教授 西田 基宏 (ニシダ モトヒロ)
Email:nishida_at_nips.ac.jp
自然科学研究機構 生理学研究所/生命創成探究センター
特任准教授 西村 明幸 (ニシムラ アキユキ)
Email:aki_at_nips.ac.jp
広報に関すること
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
Email:pub-adm_at_nips.ac.jp
九州大学 広報課
Email:koho_at_jimu.kyushu-u.ac.jp
自然科学研究機構 生命創成探究センター 研究戦略室
Email:press_at_excells.orion.ac.jp
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